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取り敢えず、ロケ地巡礼コーナーが、中影文化城以外で判明している限り、ひと通り形になった…(配色やヘッダは大目に見てちょ)
何でタイトルが(旧)花山院法皇像なのかと言えば、調べている人がいるかも知れないからである…
その方はいきなり↑↑↑↑↑飛んで下さいなw
この石像は台北の西國三十三所靈場にあり、現地を訪れる人には知られているのだが、調べている内、殆ど知られていないであろう事実を発見したのである。
実は、誰もが開山の祖の象と信じて疑わないこの石像が、いつの間にか入れ替わっているのだ。
台座には花山院法皇と書かれているが、石像は名無し。
本物(?)は、石像の下部にも、同じく花山院法皇の文字が掘られているのだ。
この石像の戦後間もない頃の写真が1枚だけ見付かったのだが、何と、この像は1978年の孟飛城主の蛇鶴丹心震九洲にバッチリ映っているのだ。
現地の管理団体も、これが70年代後半の時点でここにあった事も、台座が元から今と同じ場所にあった事も知らない(その内、教えてあげるかも知れないが)。
かなり濃厚かつ稀少な情報である事は間違い無い… と思われる(弱腰か)。
そして、またまた整理が大の得意な住職は、このお知らせすら、「ロケ地巡礼」に入れて良いのか、はたまた「更新記録」に入れて良いのか、判らなくなってしまっているのだ…
そして、時は季節の変わり目…
住職の部屋の状態は推して知るべし。
そんなこた~どうでも良い!
もう「台湾旅行で時間が余った~」なんて言わせないぞよ!(爆)
リストにすれば少ないけれど、濃縮還元状態なのでな~
エリア毎の Google Map にもリストから行ける様に、更にタイやフィリピンのMAPも公開したのでな~~~
しかしこれ又、片付け上手の住職には、エリア分けが難しいわぃ~~~
(ついでに回れそうな場所を同エリアとしたのだが、その内、繋がるのだろうなwww)
そうそう行天宮は、ページをアップした翌日にお供え&お線香のシステムが廃止になったのじゃよ~
住職が現在使用中のヘタレノートの小画面でギリギリ見られる様に作ったのじゃが、ページが重い、クリック出来ない、などの不具合があればタレコんでたもれ♪
では、良い旅を!!!!!
ロケ地ページを作成中~と言っても膨大な作業量&部屋もデスクトップもサイトも片付けるのが苦手な住職故、悪戦苦闘中…
住職は昨年、孟飛さまに教わった佛光山を訪れたのであるが、準備の時間が足りず、渡航前に充分な確認が出来ていなかった。
その為、帰国してから写真を見て、やはり違うな~という所が幾つかあった。
後に続々、判明して行くのであるが、最後に残った一箇所、悪のアジトの1つは、建物の特長などを見ると佛光山内としか思えない。
下の方の古いエリアは散々、歩き回った筈。
もしかしたら、新しいからと無視った上の方にあったのだろうか???
それとも、やっぱり別の場所???
…などと疑い始めていた昨日、久し振りにオフィシャルサイトを見ると、名前が付いているのに行っていない建物が。
写真を見ると、正にそこではないか。
最初から見れば良かった。
オフィシャルサイトの画像は小さい上に少ないので、ついつい、沢山出て来る画像検索に頼っていたのだ。
出て来なかったのも当然、そこへ通じる2つの道は、どちらも閉鎖されていたのだ。
入れないので、住職も他の一般客も見ていない、故に写真も少なくストリートビューも無い。
秘境状態という訳だ…
オーマイガー、僅か100メートルほどの距離にいながら、みすみすスルーとは…
その名も悲報にふさわしく「大悲殿」!
どこかに偶然、写っていないかと執念で探すと、念の為にと撮っていた広域写真があった。
それに近い場所からのストリートビューと、新たにwebで探し出した画像を比較すると、辛うじて屋根が写り込んでいる事が確認出来た、ひょえ~~~~~っ!
臺灣高雄佛光山「大悲殿」とゆかいな仲間たち(実際の写真は更に広範囲)
催しの時は一般にも開放されているらしく、祭りの写真を撮っている人がいるので、いつか行ってみたい住職である… いや、タレコミ寺の住職と言えば、普段でも入れてくれるだろうか???
勿論、ロケ地と判っていて行った訳であるから、他の場所はモロに撮っておるぞよ~~~。
行き方なども含めてきっちり御紹介したいと思うのじゃが、欲張れば欲張るほど、整理が付かなくなるのじゃ、ポクポクポクポク…
さて、そんな狂気の作業の折、今更ながら発見したのだ。
城主がサル手であらせられる事を!!!!!
実は住職も凄いサ・ル・手なのである。
むひょひょのひょ~❤
(う~ん、これぞ期末テスト症候群…)
さて、日々、ロケ地が続々発見される中、中影文化城のマッピングも進み、中で1~2週間、売り子でもやっているかの如く位置関係が把握出来て来たので、少林寺マスターこと方世玉大破梅花樁の気になるロケーションを調べてみた。
まさかの台湾、しかも訪れた場所で撮影されていたという事実に狂喜乱舞するも、写真に残っている場所はなかなか登場しない。
その日は後に香港、大陸でも空前のヒットとなった「包青天」の撮影中で、多くの作品に於いて重要な舞台となっている建物に入れていない為に写真が存在しない上、どうも頻繁に登場する建物は全て素通りしている気がしていた住職なのだが、どこか映っていないだろうか、としつこくチェックしていたところ、気付いていなかっただけで、幾つかモロなポイントなども発見出来て喜んでいたのであるが、更に欲望は欲望を呼び…
畏れ多くも、倉田保昭に半殺しにされた孟飛城主が運び込まれる龍君兒の家を突き止めようと、ワンショットで撮られた部分を追ってみた。
丸い北門の前にあるザル屋さんを曲がり…
割とすぐに右の家に… ってそこ、最初の鳥居のとこから逆に回って来たらスグやがな!
いや、ちょっと待ってその門構えは…
チャラリピョ~~~ン♪
つい2日程前にマッピング完了した所では…?!
他の写真などからも、ここで間違い無いと思われるので、違って見える所があるのは、角度的なものか、後から変更が加えられたのではないかと思う。
まさか、孟飛さまが十年以上も前に瀕死で担ぎ込まれた家の前でこんな事をしていたとは…
何たるボートク!!!!!
ちなみにこの向いには洪文定與胡亞彪でギャングの女ボスに目を付けられた若者の家がある。
劉家榮が冒頭に大暴れするのも、孟飛さまが譚道良の魚屋の手伝いをしているのもこの辺り、個々の家の佇まいは地味ながら、なかなか重要な通りだったのである。
そんな事とはツユ知らず…
ジューサツ刑モノですな… ポクポクポクポク。
中影文化城の写真 by リチャード桑原♀
(※「リチャード桑原」とは前回の写真に一緒に写っている住職の友人で、リチャード・ギアが吉本新喜劇の桑原和男に似ているという話から「リチャード桑原」と名乗っていた、れっきとした日本女性である。)
Chinese Valentine のヨイショネタはもうお決まりかな?
さてさて、ロケ地大発見~~~!
…との感動をお伝えしようと思っていたのであったが、その後も日々、大発見に次ぐ大発見、気分はすっかりマルコポーロかフーシェンか!
勢い余ってボートクレビュ~に「撮影場所」の項目を加えた次第である。
しょっぱなからぶっ飛ぶ事間違いナシであるぞよ~~~ポクポクポクポク♪
更なる詳細ページを作成すべく、検証を重ねつつ巡礼地図を作成中なるぞよ~~~!
何故にこんなに大層な事になってしまったかと言えば、少林ブラザースこと洪熙官方世玉陸阿采の屋外ロケが全て台湾という事より、ならば屋内は中影文化城こと中國電影文化城ではないかいな、とハタと思い付いたのであるな。
中影文化城は言わずと知れた台湾の映画村であるが、実は住職、最初の旅行でここを訪れていたのである。
当時の住職は香港映画という概念を把握しておらず、「香港映画」は全て香港で撮っていると思っておったのだ。
つい最近までも、台湾で野外ロケをしていても、残りは香港に帰って撮っていると思い込んでいた… というよりも、そこから先に思考が行かなかった。
薄々勘付いてはおった気がするが、大変なコトになりそうな予感がしていたのかも知れない。
孟飛さまのインタビューを思い起こせば、少林五祖で初めて撮影に行かれた折は、台湾の方が進んでいて、撮影所も大きく、などと大層感動されたと思われるのだ。
…と言う事は、それ以降の作品は台湾で撮っている可能性が極めて高いであろう。
いざ、調べてみれば、出るわでるわ。
他の映画も街中のシーンは全て中影文化城。
オーマイブッダ!
行天宮は違ったが、今回は正真正銘の素通りではないか!!!!!
残念ながら、ここは数年前に取り壊されてしまったのだと言う。
華やかなりし頃はアナログ時代である為、web上には殆ど画像が存在しないのだが、執念で大半の写真の場所を特定し終えた。
他の場所だと思っていたこの写真の場所が判明した時の住職の喜びの舞いをお見せたしかったぞよ~
たまたま確認用にとキャプっていたこの背景が、なな何と…!
孟飛さま扮する二郎が寺を飛び出し、饅頭をかじりながらアホっぽく街をうろ付く場面である。


スマン… 住職の方が百倍アホじゃった。
行く行くは中影文化城の地図に番地を振り、写真と映像をそれで表す事が出来る様になればと考えておる方向音痴の住職である。
まだ「少林ブラザース」のラストファイトのロケ地発見の報告が1箇所残っているのであるが、更新記録を兼ねて、先にこちらを。
十八羅漢陣(一番下の「ロケ地」更新)でしゃあしゃあと少林寺のフリをしている行天宮が、何と観光地として有名な台北ではない事が判明!
行天宮の写真は、住職が写っているものも含め、どれも映画では存在しない龍の柱がデーンと写っているので、ちょいとおかしいなとは思っていたのだ。
しかし、屋根のツンツンもそっくりであるし、あんまり思い入れも無いし、まぁいっか、内側は地味なのかもってな事で片付けて、数行のレポートで終わろうと思っていたのだ。
そして今日、知人が公開していた台湾の写真の中に行天宮の内側っぽいものを発見したもので、屋根の形など確認しようとした所、その写真は全く関係の無い建物ではあったが、台北の本宮以外に分宮が2つあるという情報が…!
調べてみると、その1つ、北投の關渡行天宮と全てが一致したのである(分宮ではあるが本宮よりも先に建てられたそうな)。
忠義山の中腹にあるそれは忠義廟とも呼ばれ、「忠義站」という最寄り駅まであり、電車やバスで簡単に行ける様だ。
ここまで判ってスルーする訳にも行かないのだが、困った事に、今回すっ飛ばしたロケ地に近く、車なら橋を渡り、ほぼ東西に直線で30分程度なのじゃが、公共の乗り物では一旦、電車で南下して台北を回らねばならない為、2時間掛かるのである。
ひねくれて徒歩や船で対岸へ渡りバスを乗り継いでも2時間。
2時間あったら基隆の塔まで行けるではないか!!!!!
だからと言って歩いても2時間… しかも平地ではないのだ。
電車とは速いのじゃのぅ…
こういう時はどうするべきであろうか?
タクシー???
住職、30分も間を持たせられる語学力と社交性は持ち合わせておらんのじゃがのぅ~~~ポクポクポクポク。
昔、住んでいた大阪の北の箕面市から、バイト先の高槻市まで行くのに原付で30分、電車なら淡路まで南下して1時間半、徒歩なども入れれば2時間… という俗世の悔しさを思い起こす住職であった。
行天宮オフィシャルサイトにはお参りの作法なども書かれているが、メジャーな本宮に関しては日本語の情報が山ほどあり、關渡行天宮への行き方も難無く見付かると思うので、暫くは脳内トリップ位しか出来ないであろう住職に代わり是非とも訪れ、十八羅漢ごっこをして欲しい… 特にラストのポクポクシーンなど。
google地図では「行天宮北投分宮」で登録されておるぞよ~。
(※今は城内のロケ地ページから行った方が早いぞよ。)